2018年


ーーーー11/6−−−− 名前?


 技術専門校の木工科に通っていたときのこと。高卒のボクちゃんが、休み時間に仲間と話していた。

 「この春、入学が決まってから、技専でどんな品物を作っているのか見ようと思って、展示即売会に来たんだよ」

 展示即売会というのは、生徒が作った作品を展示して、一般の方に販売する催しである。年に一回、卒業の前に開催されていた。格安で品物が手に入るので、開場前に行列ができるほどの評判だった。

 「作品の前に名札があるじゃない、その中に座卓子というのがあったんだ。それを見て、生徒の中に女の人もいるんだ、と思ったんだよ。そのうち、ライティング・ビューローというのがあってね、おや、外国人もいるんだと思ったわけよ。最後に出てきたのが押入れタンス。あれっ、と思ったね。こりゃあ人の名前じゃなかったんだってね」




ーーー11/13−−− 通風制御板


 我が家の薪ストーブは、デンマーク製の「みにくいアヒルの子」というものである。何十年も前から世界中で販売されていて、日本国内でも一時期流行した品物である。

 シガータイプという種類のストーブである。空気口を絞れば、炎を出さずにじわじわと燃え、ある程度の量の薪をくべておけば、一晩中でも火が消えることが無い。翌朝空気口を開ければ、再び炎を出しで燃え始める。タバコの火のように、じわじわと燃やすことができるので、シガータイプと呼ばれている。

 火勢を落とすとはいえ、夜の間中燃え続けるので、部屋の温度がそこそこ維持される。またストーブが冷えきらないので、必要なときはすぐに火力を上げられる。その意味で、なかなか具合の良いストーブである。ただし欠点がある。冷え切った状態で点火をし、焚き上げるのがスムーズに行かないのである。

 要するに、火が点き難いストーブなのである。北欧では、冬の間ストーブを燃やしっぱなしにすることが普通らしい。秋に火を入れたら、春に消すまで、火を絶やさないのである。そういう使い方なら、点火がし難くても、一回だけのことだから、さほどの不便も感じないかも知れない。しかし、我が家では、厳寒期を除けば、火をつけっぱなしということは無い。毎朝、冷温状態のストーブに点火をしなければならないのだ。となると、火が点き難いというのは、かなりうっとうしい事である。

 点火がし難い理由は、ストーブが冷えた状態ではドラフト(煙突の吸引力)が効かないので、空気量が不足する事にある。そこで、前面の扉を開けて、空気量を確保しようとする。しかし、扉を開けると、空気の流れが上のほうに偏り、焚き付けを置いた炉床付近に空気が行かない。

 こういう問題点に気が付いたので、扉を開けた開口部をトタン板で覆い、空気の流れが下の方だけに生じるように工夫をした。板は取り外し式になっており、火の勢いが大きくなったら外し、扉を閉める。後はストーブ本来の使い方となる。そのトタン板を、通風制御板と名付けた。これを導入してから、点火は格段にラクになった。もう二十年以上、この通風制御板を欠かさず使っている。あまりに便利なので、同じ悩みを抱いているユーザーのために、輸入代理店に提案をしようかと思ったくらいであった。

 通風制御版は十分に役に立つのだが、それでもシーズン初めの朝の点火には手こずる。というのは、シーズン初めはまだ寒さが厳しくなく、朝のうち燃やせば良いくらいなので、本格的な薪の組み方をしない。丸めた新聞紙の上に、小枝などの軽い薪を置いて火を点けるような、簡便な方法をとる。すると、新聞紙が燃え尽きると、薪が炉床に落ち、せっかく点きそうになった火も消えてしまう。そのような場面では、例の通風制御板も効果が無い。炉床は開口部の下端より低い位置にあるからである。

 ずうっと前から、この問題に悩んできた。しかしシーズン始めの一時的なことなので、改善策を講ずることもなかった。やるとすれば、五徳のようなものを炉内に置いて、薪の位置を高くするしかない。しかし、火が点いたらそれは邪魔になるので、取り出す必要がある。なんだか面倒な気がした。

 最近になって、良い方法を思いついた。ストーブの内部側壁の下半分は、上に向かって僅かに開いている。そこに、ちょうど良い長さに切った枝あるいは木の棒を渡すのである。その上に焚き付けの薪を乗せ、下に新聞紙を置いて火を点ける。つまり、薪の位置をかさ上げするのである。そうすれば火が点き易い。しかも、通風制御板も効果を発揮する。そして十分に火が回った頃には、渡した棒は焼け落ちて、邪魔にならない。

 薪ストーブも、使いこなすにはいろいろ工夫が必要なのである。

 

 





ーーー11/20−−− 褒め上手


 
テレビで外国の取材番組を見ると、欧米文化圏の男たちは女性に対するコメントが絶妙で、感心することがある。そこである事例を思い出した。

 会社勤めをしていた時のこと。入社何年目かの研修で、イギリス人講師を招いて英会話の訓練があった。プログラムの最初に、講師の紹介があった。案内をしたのは人事部の若手女子社員。

 女子社員は、丸暗記のような英語で講師を紹介した。すると講師は彼女の方に向き直り、大げさに両手を広げてこう言った「おおー、なんて綺麗な女性でしょう! 私はこれまでの人生でこれほど美しい女性に会ったことがありません。日本にはこんなに美しい女性がいて羨ましい。私は日本に生まれなかったことを残念に思います!」

 飲み会の席ではない。いちおう仕事の場である。それでもお構いなしのこのお世辞、おべんちゃら。居合わせた日本人一同は驚いたり、苦笑したり。英会話よりも、この発言だけで、欧米の習慣を肌身に感じる教育的機会となった。

 そう言われた当の女子社員は、赤くなって照れていた。もしその時、彼女が以下のように返していたら、見事なカウンターパンチだったろう。

 「イギリスの男の方は女性を持ち上げるのが上手ですね。私は日本でこのように褒められた経験は、一度もありません。私はイギリスに生まれなかったことを残念に思います」





ーーー11/27−−−  安全運転


 
保険会社の外交員が、更新手続きのため我が家に来た。いつも通りのやりとりで、手続きはすぐに終った。その後、またいつもと同じように、少しの間雑談をした。

 私と家内は運転免許証がゴールドである。外交員は、「長い間無事故で来られたことはすばらしいですね」と言った。「やはり運転に注意を払い、よく気を使われているから、無事故なんですね」とも。

 私は「特に気を使っているということも無いと思います。これまで運が良かったのでしょう」と答えた。

 すると「ご本人は意識をしていなくても、慎重な運転をする人はいますし、逆に無意識のうちに不注意な運転をする人もいるようです。実際のところ、データを見ますと、事故を起こす人は何度も繰り返すというケースが多いですよ」と言った。

 なるほど、そういうこともあるかも知れない。性格的に、慎重な人と、気の短い人では、運転に差が出るのは当然だろう。それ以外にも、いろいろな要因による傾向があるから、総合的に見て事故に近い人と遠い人がいるというのは納得できる。

 「しかし」と私は言った。「もらい事故というのもありますから、いくら慎重な運転を心がけても、どうしようもない事もあるように思います」。そして、実際にあったこんな事例を述べた。

 家内が一人で郵便局に行き、車を停めた。道路際の小さな駐車場なので、前から入るのが普通であり、この時もそうした。用事を終えて車に戻り、乗り込もうとした刹那、何だか嫌な予感がした。そこで車の後ろに回って見たら、一台のバイクが停めてあった。その予感が無ければ、バックで発進してバイクにぶつかっていただろう。バイクの主は、年配の女性だったそうである。

 バックで発進するしかない車の後ろにバイクを停めるのは、不注意、不適切な行為と言えるだろう。しかし、ぶつけてしまえば、こちらに非が無いとは言い切れない。むしろ、進行方向の安全確認を怠ったということで、分が悪いかも知れない。

 この時は幸いにも事無きを得たが、こんなことでも事故は起こりうるのだ。家内からこの話を聞いたとき、やるせないような、暗澹たる気持ちになったのを覚えている。

 「それ以来、私は郵便局から出る際に、できるだけ車の後ろを確認するようにしています」と言ったら、外交員氏は同情するような表情で「それが良いですね」と返した。